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集中講義・課題提示レポート(200412)

大学改革の具体案

中京大学経営学部

宮崎 光代

 

Q1.問いを立てよ

 A1.  北海道大学経済学部助教授・橋本努先生の国立大学改革論・多機能教育を基に、より深い具体案を考察せよ。

 

Q2.その問いについて説明せよ

 A2.  橋本先生は独自の国立大学改革論の中で、特に「選抜システムの段階化」と、「多機能教育空間」が重要であるとされた。

大学のシステムを考える中で、そもそも大学の役割とは何か、大学が提供できるものとは何か疑問に感じた。そして、それらは「多機能教育」であるとの結論に達し、より具体的な案を出すべく、問いとした。

但し、本稿における選抜システムは、現在のままのものとする。

 

Q3.問いに答えよ

 A3. そもそも大学の役割とは何であろうか。学生が学びをするための場であり、研究者が研究をする場であり、企業が人材発掘をする場であった。つまり、教育機関であり、研究機関である。

    では、教育機関とは、どのようなものなのだろうか。それは、学生に自らの人生を考えさせるための場であり、学生が人生を切り開いていくための力を養う場である。そして、人生を考えるために必要なものは時間ときっかけであり、大学は教育機関としてそれらを提供すべきである。

    具体的に時間とは、試行錯誤の時間のことである。その時間を作るためには単位に縛られないようなシステムにするべきである。つまり、年次単位取得上限数を決めず、必修科目を少なくすることである。試行錯誤の時間を12年次に取ったために単位が取れなくても、年次単位取得上限数がないことで3・4年次に追いつくことができる。今までは予・復習を考慮して単位取得数に上限の規定があったわけであるが、現実的に学生側がその目的を達成しているとは考えにくい。そうであるから、この規定を廃止してしまうほうが、より効果的である。また、必修科目を少なくすることによって学生は興味のある講義を取ることができるようになり、学生のモチベーションが上がる。そして、モチベーションが上がっているときには成果が出やすい。試験に合格するためのその場しのぎのものではなく、「自分のものとして」身に付けることができるのである。モチベーションのある者へ教えることは教える側にとってもやりがいがあることで、好循環を生むと思われる。

    次に、人生を考えるために必要なきっかけとは、具体的には社会と大きな関わりをもつような機会のことである。例えば橋本氏[1]の提案のように、海外20カ国を半年間かけて旅行をしたり、職業体験として50社の企業をまわって体験させてもらったり、市民活動・ボランティア50団体をまわって体験させてもらう、ということである。社会人ではできない学生ならではの体験をするのである。学生にとっては視野を広げ、物事の引き出しを多くする機会になる。そして各企業や団体も、学生と関わることによって閉鎖的な空間に風穴を開けることができるようになる。この際、学生側には一貫した、あるテーマをもって行動をしてもらい、最終的には論文のような形で自由に述べてもらう。それは学部や学術的であることと限定せず、学生の興味の向くままにさせることが望ましい。先述のようにモチベーションが上がることによる大きな成果が期待できるからである。そして行動の期間には、行動日記と感想日記と法則を毎日書くようにさせる。行動日記を書くことでその日の無駄な動きをチェックすることができる。感想日記を書くことでその日考えたことを残すことができ、今後自己を振り返るときにどのように成長していったのか過程がわかるのである。また、独自の法則を毎日考えてみるようにさせることで、一貫したテーマ以外のことにも目をむけ、物事の法則性を創造する力がつくようになるのである。本来、法則とは一般的・普遍的でなくてはならないのだが、ここでは想像力や創造力を高めるための手段として考えたい。

    また、人生を考えるために必要なきっかけとして、自己啓発のようなセミナーも外注して大学で開催すると良い。中には宗教的なものもあるようなので吟味する必要性はあるが、262の法則の、下の62の意識を変えるために必要である。現在、多くの学生は受身的な教育と、受身でも生きてこられてしまった生活に慣れてしまっている。そしてそれは自ら生き方を模索しようという気力やその選択肢すら失ってしまっているように見えてならない。そのような学生たちを能動的な生き方にさせるきっかけである。学生に限らず学校関係者やその保護者なども参加するようになると、社会の見方も少しずつ変わってくると考えられる。

    さて、これまで教育機関としての大学について述べてきたわけだが、研究機関としての大学が提供できるものとはなんだろうか。研究機関としているものの、大学では専門分野の基礎となるものの提供に留まっている。大学院が専門研究機関という位置付けならば、大学はその前段階の取っ掛かりに過ぎないのだろう。

    では、そのような位置付けで、最大限できることはなんだろうか。試行錯誤の時間である12年次を終了した34年次から、本格的な研究に入る。そして最終的な成果が卒業論文となるわけであるが、この卒業論文のチェック機能を増やすのである。研究室の教員が学生の論文をチェックすることで論文を完成させ、さらに他大学同分野の教員2名のチェックを受けて、合計3名の教員のうち、2名の許可を得て卒業とするのである。研究室の教員は、他大学同分野の教員2名へ自分が通す論文であるために学生へのチェックを厳しくするであろう。そのため学生も安易な気持ちではなく、緊張感を持って論文に取り組むようになる。また、今まで卒業の権利を担当教員のみが握っていたために起こっていた利害関係が、他2名が間に入ることで薄くなると考えられる。

    以上をもって、国立大学の多機能教育について、より深い具体案を出すこととする。

 

 



[1]北海道大学経済学部助教授・橋本努教授のプリントより